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コンセプト

高崎映画祭の始まりは、
「高崎で見たい映画を観たい」
でした。

第2回高崎映画祭の写真
高崎市 市街地の写真
映写機の写真
第2回高崎映画祭の写真

1980年代当時、地方都市に住む映画ファンにとって、見たい映画を観るためには公開しているタイミングに東京へ行かなければ観ることができない、というのが当たり前でした。どうにか頑張って都内へ足繁く通う人たちもいたでしょうが、数多ある作品をもれなく観ることは経済的にも物理的にも大変だったと想像できます。新聞や雑誌の映画評をくまなく読みこみ、公開映画に想いを馳せ、どうにか観たいという思いから「自分たちでフィルムを借りて観る」という行動に出た。それが自主上映会の始まりだったのだと思います。全国にそうした映画ファンはたくさんいたはずで、高崎の地にいた映画ファンもそうした思いの元仲間が集まり、自分たちが観るために、上映会を始めたのだと思います。
フィルムを借りるにもお金がかかりますし、映画を上映する場所も必要になる。上映会を開いてお客様を集めて経費を集める。予算通りにいかないこともたくさんあったでしょうが、自分たちが観たいという欲求が、地域の映画文化の発展につながるはずだ、という先見の明が、その大変な活動の根底を支えたに違いありません。 高崎で生まれた自主上映団体「見たい映画を観る会」は、こんな素晴らしい映画があることを多くの人に伝えたい、観せたい、に変化していきます。観たいという欲求を素直に表した団体名は、その後上映集団「メーヴェ」となります。地方でなかなか観られない映画を上映することが、市民・県民にとっての多様な映画環境の担保になると、先人たちは考えたのだと推測できます。
そうして、1987年に上映集団「メーヴェ」のメンバーが中心となり高崎映画祭が発足しました。映画ファンによる映画ファンのための映画祭。市民ボランティアによる市民活動として動き出した映画祭には、地方都市の映画文化を底上げするという大きな展望がありました。以来35年間走り続けてくるわけですが、高崎映画祭の上映コンセプトは、当時から何一つ変わることはありません。

高崎市 市街地の写真

1:地方都市で観る機会の少ない良質な映画を上映すること
2:高崎映画祭の批評性を持ち、それを大切にすること
3:日本映画の発展と育成に寄与すること

その年に劇場公開された作品の中から、邦画洋画ベストセレクションを選出し、邦画に対しては授章を行い、日本映画界の未来のために若手映画監督たちの新しき才能に注目する。それが高崎映画祭の上映コンセプトです。
映画はフィルムからデジタルに移行し、家庭で観られる映画環境はV H Sからディスクになり、配信になりました。全国にあった映画会社直営の映画館がシネマコンプレックスになり代わり、映画館のスタイルも時代とともに変化して来ました。そうした中で、高崎映画祭は、地方都市にミニシアターを芽吹かせ、映画制作の土壌を耕しても来ました。さまざまな変遷を経て、高崎映画祭も進化と継承を続けて来ましたが、上映コンセプトが変わることはありませんでした。映画が誰でもいつでも観られる時代になったと人は言うかもしれませんが、映画環境という意味で言えば、スクリーンで観る機会の少ない映画は今も昔も同じようにたくさんあるからです。「地方都市で観る機会の少ない」という部分には、「スクリーン体験として」という枕詞が隠れてもいるのです。
批評性については、ディレクター主義であること、自分たちの視線で選んだ作品に対しての受賞を設けていることが挙げられます。選ぶ、という行為には意思があると同時に責任が伴うものだと思っています。ボランティアスタッフの組織ですが、映画上映者としての誇りと責任を持ち、映画に真摯に向き合いながら、どの作品をどうして届けたいのかが伝わる活動を意識しています。
日本映画の発展と育成に、小さな映画祭が出来ることは、自分たちの批評性とともに、観客の声を作り手に届けることだと思っています。映画祭は出会いの場です。観客と映画との出会い、作り手と観客との出会いが、次なる映画を生み出します。観客にとっては多くの新しい才能との出会いを、作り手にとっては、厳しい目を持つ観客との出会いを、生み出す場でありたいと思っています。

映写機の写真

映画と共に生きる人生はとても豊かである。
映画を通して人が繋がり、世界が繋がる。

高崎映画祭には、地方都市だからこそ生み出せる時間があると考えています。高崎の地で、同じ映画を観て、街を歩いたときにこそ感じられる感覚がきっと生まれる。そこで種を撒くのは訪れた方一人一人なのだと思っています。高崎映画祭が出来ることは、その種を撒けるだけの、美しい芽を出せるだけの、肥沃な土壌を作ることだと思っています。

略年

1975年

「見たい映画を観る会」設立

1984年

自主上映団体「上映集団メーヴェ」に発展 群馬音楽センター会議室などで年3~4回上映会を開催

自分たちの「見たい映画」から多くの人へ「見せたい」上映会へ

1987年3月

「第1回高崎映画祭」開催

1996年3月

「第10回高崎映画祭」開催

2006年3月

「第20回高崎映画祭」開催

2008年11月

高崎映画祭事務局 代表 茂木 正男 死去

2011年3月

「第25回高崎映画祭」開催 東日本大震災の影響で、授賞式を中止

2011年6月

ユーロスペースにて「出張授賞式」を行う

2012年9月

高崎映画祭事務局 事務局長 常見 次郎 死去

2016年3月

「第30回高崎映画祭」開催

2020年3月

「第34回高崎映画祭」授賞式のみ開催

2021年3月

新型コロナウイルス感染防止に鑑み「第35回高崎映画祭」見送り

2022年3月

「第35回高崎映画祭」開催 3年ぶりに映画上映を行う

現在に至る

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