Design Concept 「この映画との出逢いが誰かの心を救いますように」

私は大学生の時に映画と出逢いました。
20歳になるまで映画館で映画を観た記憶は、数えるほどしかありません。小学生の頃に2回、中学生の頃に2回、高校生の頃に2回です。初めての映画体験は、平和教育として群馬音楽センターに連れて行かれて見たアニメーションの『対馬丸-さようなら沖縄』のはずで、その少し後には今はなき高崎東宝劇場で『南極物語』を見ました。どちらも私は映画の途中で頭が割れるように痛くなり、帰り道全く口を開かず不機嫌だったのを覚えています。映画というのは、幼心に具合の悪くなるもので、映画館という存在も暗くてなんだか空気が止まっているようで、怖い存在としてインプットされました。
中学生の時も高校生の時も、自発的に映画に行ったことはありません。教員をしていた父親が、映画教室実施の下見のためかチケットを持っていて『ラストエンペラー』と『敦煌』、そして『天と地と』に出かけた経験があります。私にとって映画館に足を踏み入れることはワクワクとは程遠く、出来れば行きたくない場所でしたし、いずれの回も私はやはり、頭が痛くなり、加えてお話も歴史スペクタルすぎて全く興味も持てず、具合が悪いまま映画館を後にしたものです。
大学生になると、遅い思春期だったのか自分自身をがんじがらめにしてひどく孤独感に苛まれた私は、大学に足が向かない日々を過ごしました。そんな時に映画と出逢いました。最初は本当に些細なきっかけでの時間潰し、しかも映画館ではなく自宅でのビデオ鑑賞です。自室の小さな14インチモニターでレンタルビデオの映画を観続けました。不思議なことに、その小さな小さな画面で、私は心を動かす時間を得ました。大きな落胆に心がふさいだり、悲しみや怒りに共鳴したり、想像もしていなかった出来事に驚愕したり、心震える感動をしたり、喜びを分かち合ったりもしました。世界を知り、歴史を知り、宇宙に行ったり、海の中を潜ったりもしました。そうして観続けるうちに、群馬県内初のシネマコンプレックスが出来、たまたま足を向けると私の知っていた映画館とは全く装いが違い、ドライブの目的に加わるようになりました。
大画面、大音量で、知らない人と肩を並べて観る映画。気づけは頭痛に見舞われることもなくなり、私は生きる力をつけていきました。そのうち、どんどん映画が観たくなって、怖かったはずの高崎市内の映画館にも自然と足が向き、県内外の映画館にも出掛けるようになりました。
出会いが出逢いに変わった瞬間がいつだったのか。それはわからないのですが、映画との出逢いは私の孤独を救い、悲しみに寄り添い、怒りをなだめ、喜びを教えてくれるものでした。
映画は誰かの心を救い、誰かの孤独を支え、誰かの人生を豊かにする。 新たなる映画との出逢いを、ふとした邂逅を、高崎映画祭は“誰か”である皆さんに届け続けたいと思っています。
映画が生まれて今年で130年。文化芸術の歴史としては、映画まだまだ若い文化です。フィルムからデジタルに変わっても、物的質量を持ったフィルムは映画文化を伝える大事な重みだと思っています。
昨年に引き続き、今年のメインビジュアルには、「届ける」というその想いの質量を、重いフィルムを運ぶ映写技師の姿に乗せました。映画を届けながら物語の世界と現実とを自由に行き来する映写技師の姿もまた、誰かの心に届くことを願っています。 「この映画との出逢いが誰かの心を救いますように」
映画を届けることが、人を繋げていく。
映画が誕生してから今までの歴史と想いも全てを詰め込んで、
今日も映画を届けたい。
そんな想いを込めて、今年も高崎映画祭を開催します。
20歳になるまで映画館で映画を観た記憶は、数えるほどしかありません。小学生の頃に2回、中学生の頃に2回、高校生の頃に2回です。初めての映画体験は、平和教育として群馬音楽センターに連れて行かれて見たアニメーションの『対馬丸-さようなら沖縄』のはずで、その少し後には今はなき高崎東宝劇場で『南極物語』を見ました。どちらも私は映画の途中で頭が割れるように痛くなり、帰り道全く口を開かず不機嫌だったのを覚えています。映画というのは、幼心に具合の悪くなるもので、映画館という存在も暗くてなんだか空気が止まっているようで、怖い存在としてインプットされました。
中学生の時も高校生の時も、自発的に映画に行ったことはありません。教員をしていた父親が、映画教室実施の下見のためかチケットを持っていて『ラストエンペラー』と『敦煌』、そして『天と地と』に出かけた経験があります。私にとって映画館に足を踏み入れることはワクワクとは程遠く、出来れば行きたくない場所でしたし、いずれの回も私はやはり、頭が痛くなり、加えてお話も歴史スペクタルすぎて全く興味も持てず、具合が悪いまま映画館を後にしたものです。
大学生になると、遅い思春期だったのか自分自身をがんじがらめにしてひどく孤独感に苛まれた私は、大学に足が向かない日々を過ごしました。そんな時に映画と出逢いました。最初は本当に些細なきっかけでの時間潰し、しかも映画館ではなく自宅でのビデオ鑑賞です。自室の小さな14インチモニターでレンタルビデオの映画を観続けました。不思議なことに、その小さな小さな画面で、私は心を動かす時間を得ました。大きな落胆に心がふさいだり、悲しみや怒りに共鳴したり、想像もしていなかった出来事に驚愕したり、心震える感動をしたり、喜びを分かち合ったりもしました。世界を知り、歴史を知り、宇宙に行ったり、海の中を潜ったりもしました。そうして観続けるうちに、群馬県内初のシネマコンプレックスが出来、たまたま足を向けると私の知っていた映画館とは全く装いが違い、ドライブの目的に加わるようになりました。
大画面、大音量で、知らない人と肩を並べて観る映画。気づけは頭痛に見舞われることもなくなり、私は生きる力をつけていきました。そのうち、どんどん映画が観たくなって、怖かったはずの高崎市内の映画館にも自然と足が向き、県内外の映画館にも出掛けるようになりました。
出会いが出逢いに変わった瞬間がいつだったのか。それはわからないのですが、映画との出逢いは私の孤独を救い、悲しみに寄り添い、怒りをなだめ、喜びを教えてくれるものでした。
映画は誰かの心を救い、誰かの孤独を支え、誰かの人生を豊かにする。 新たなる映画との出逢いを、ふとした邂逅を、高崎映画祭は“誰か”である皆さんに届け続けたいと思っています。
映画が生まれて今年で130年。文化芸術の歴史としては、映画まだまだ若い文化です。フィルムからデジタルに変わっても、物的質量を持ったフィルムは映画文化を伝える大事な重みだと思っています。
昨年に引き続き、今年のメインビジュアルには、「届ける」というその想いの質量を、重いフィルムを運ぶ映写技師の姿に乗せました。映画を届けながら物語の世界と現実とを自由に行き来する映写技師の姿もまた、誰かの心に届くことを願っています。 「この映画との出逢いが誰かの心を救いますように」
映画を届けることが、人を繋げていく。
映画が誕生してから今までの歴史と想いも全てを詰め込んで、
今日も映画を届けたい。
そんな想いを込めて、今年も高崎映画祭を開催します。